坪木の教育論⑦:大人に求められる「ゆずり葉」の覚悟

前述のように、勉強は子供たちが成長する(生きる力を身に付ける)ために必要不可欠な習得手段である。学生時代に、これを放棄することは絶対に避けなければならない。それは成長を放棄することに等しい。当然、勉強とは訓練の一つである以上、子供たちにとって辛くつまらない作業だろう。また、そうでなければ真の能力は身に付かない。それは勉強に限らず、スポーツでも芸術でも同じである。ある程度の負荷が能力の向上には不可欠である。そこに、我々大人の役割も存在する。辛いことから逃避しがちになるのは人の常である。子供ならば尚更だ。その時、我々大人が道を示し、励まし、支えることが必要となる。いわゆる「愛情ある強制力」だ。ややもすると近年の大人は子供におもねり、嫌われないように気を遣う。機嫌を損ねることを恐れ、腫れ物に触るように扱う。本当にそれが子ども達のためだろうか。

私は、とある塾経営者の言った台詞が忘れられない。

「どうしても真意の伝わらない生徒に対して、最後の手段として破門宣告をしても構わない。それで恨まれてもいいじゃないか。そのことで、見返してやろうと発奮し、彼の人生が変わるのならば、それは教育者としての本望である。」

今、これほど強烈な覚悟を持って子供と向かい合っている教育者がどれほどいるだろう。今、保護者をはじめとする大人たちに求められているのは、この「覚悟」なのだ。多くの私塾人は今、同じ覚悟で教壇に立つ。塾・予備校の存在意義は、そうした崇高な覚悟が支えている。だからこそ多くの子供たちの「人生が変わる瞬間」が私塾の現場に訪れる。

一つの例を挙げよう。その少年は中学一年生の一学期末試験、英語で84点だった。彼にとって他教科に比べ20点近く良い点であり、保護者も満足していた。しかし、私は大きな危機感を感じていた。このままでは英語が苦手科目になってしまうかもしれない。そこで私は、渋る本人と保護者を説き伏せ、夏期講習を受講させた。英語を徹底的に訓練したのである。その甲斐あって、少年は休み明けの実力テストで満点を取った。彼にとっては人生初めての満点だった。そのことが自信となり、その後、他教科は相変わらずだったが、英語だけはトップレベルをキープし続け…今、彼は某有名高校の英語教師を務めている。彼の人生は確実に中学一年生の夏に変わったのである。人生が変わる瞬間とはドラマのようにドラスチックなことではなく、ありふれた日常の中に潜んでいる。

子供たちには数多くの「人生を変える瞬間」に遭遇してほしい。その瞬間が「成長」の瞬間であり、生きる力の尻尾を握り締める瞬間である。それは、けっしてテレビやゲーム、漫画の世界には存在しない。ましてや惰眠の中には…。

これ以上の言葉を費やすのは蛇足であり、後は賢明な保護者の判断にお任せすべきであろう。賢明な保護者たる資格はただひとつ。「ゆずり葉」の覚悟である。