坪木の教育論⑤:目的と目標の真の意味を知る

平成18年に改正された教育基本法では、その第1章で教育の目的を次のように掲げている。

(教育の目的)

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

見事な美文である。と、同時に全く意味が分からない。かつて流行った「言語明瞭、意味不明」の代表例と言ってもいいだろう。まず、「人格の完成」とは何か。その完成形の姿が全く見えない。見えないものを目指すのは不可能である。同様に、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」が何かも分からない。分からないものは備えようがない。前述した「反論の余地が無い抽象文」の典型である。もっとも、「目的」という抽象的な概念の説明であるから、自ずと表現には限界があることは理解できる。そこで、基本法には「その目的を実現するための目標」が掲げられている。それはそれで周到なのだが、この「目標」がまた、問題なのである。

(教育の目標)

1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

もう、美辞麗句てんこ盛りの文章が並んでいる。形式上、5項にまとめられているが、例えば第1項だけを見ても、「幅広い知識と教養を身に付ける」「真理を求める態度を養う」「豊かな情操と道徳心を培う」「健やかな身体を養う」と、4つの内容が掲げられている。第4項を除いて「~とともに」の言葉を使い、数えると20の「目的」が5つの文中に無理やり押し込められているのである。子供たちがこんな文章を書けば、合格点はもらえないのではないだろうか。正に、「お役人文章」の典型である。そして、最大の問題点は、この文章の筆者(文科省)が目的と目標の意味を分かっていないことである。

部活動を例に採ると分かりやすい。例えば、野球部に参加する「目的」は、野球技能の向上であり、体力の向上であり、チームワークを学ぶ(友情を育む)ことに異論は無いだろう。これは努力規定(普遍的に追い求めるもの)である。それに対して目標とは、チームとしての「県大会優勝」であり、個人としての「打率3割」であり…数字で表せるものでなければならない。つまり、目標とは目的に対して正しい方向に進んでいるかどうかを判断するための指針として、また、その行為を維持させるモチベーションとして存在するのである。数値で測れるものでなければ、目標の意味をなさない。打率3割を達成して初めて、野球の技能が向上したと判断できるのであり、打率3割という目標があるからこそ、モチベーションが保たれるのである。目的と目標は、そうした相関関係にある。勉強の目的は「学力の向上」であり、それを達成するための目標として点数や順位、そして志望校合格がある。こうして考えてみると、教育基本法に掲げられている「目標」は、すべて「目的」に類する内容であり、そこには「真の目標」がすっかり欠落していることが分かる。

同様のことは、近年盛んに使われる「生きる力」にも指摘できる。新学習指導要領には「生きる力」の説明として、次のことが書かれている。

1 基礎・基本を確実に身に付け、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力

2 自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性

3 たくましく生きるための健康や体力

お役人が作る文章は全て同類である。抽象的美辞麗句をパズルのように組み合わせ、どこからも批判を浴びないことを「目的」として作られている。その意味では十分に優秀なのだろう。しかし賢明な保護者は、こうした美文に惑わされてはいけない。目標を持たない目的は単なるスローガンであり、けっして実現できないと知るべきである。

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