坪木の教育論⑥:成長とは、生きる力を身に付けていく過程のこと

さて、人は確かに「生きる力」が必要であり、それを身に付けていく過程が「成長」であることに異論はないであろう。必要なことは、「生きる力」の具体的な姿を提示することである。私にはそれは明らかだと思われる。概念的に言えば「社会に貢献する力」であり、抽象的に言えば「社会に秀(ひい)でた能力」である。具体的に例を挙げるとこうである。医者は、我々が持っていない「病気を治す能力」によって社会貢献をしている。イチローは我々が持っていない「野球の能力」によって社会貢献している。浜崎あゆみは我々の持っていない…つまり、どんな分野でも構わないが、一般の人が持っていない能力によって社会貢献できることが「生きる力」であり、それを習得する過程が「成長」なのである。子供たちは正に、この「生きる力」を習得すべく成長過程の真っ只中にいる。そして、その習得手段の代表が「勉強」である。

前述の議論に戻ろう。生きる力を身に付けるべく成長過程にある子供たちが、夏休みという40日間、その成長努力を放棄することが本当に有効だろうか。我々大人と子供たちの「時間」は同じ速度ではない。誰もが大人になってからのほうが1年を短く感じているはずだが、それは錯覚ではない。40歳の人の一年は人生の40分の1だが、6歳の子供には人生の6分の1である。当然、子供たちにとっての40日間は我々の40日間とは比較にならない重みを有している。無駄に過ごせば「あっ」と言う間かもしれないが、何かを成すには充分な時間なのである。この時間の過ごし方が子供の人生を大きく左右することを全ての大人は自覚しなければならない。気楽に「勉強なんか…」と言うことは許されない。

では、この40日間を子供たちはどう過ごすべきであろうか。私は忙しい日々を子供たちに過ごしてほしい。かつて「ゆとりの教育」が導入され、土曜日が完全休日になった時のアンケート調査結果がある。土曜日の午前中に何をしているかという問いに対して、子供たちの最も多かった回答は「寝ている」だった。それを伝える新聞記事には「このように今の子供たちは疲れている」旨の解説が加えられていたが、その調査結果と解説に違和感を持ったのは私一人ではあるまい。もともと「ゆとり」とは何か。けっして、何もすることがない時間のことではない。本来の「ゆとり」とは、やりたいこと、やらねばならないことを、とことん出来る時間のことである。子供とは、やりたいこと、やらねばならないことがいっぱいで、どれだけ時間があっても足りないという時代を生きているはずだ。それが「やることもなく寝ている」というのでは、それこそ文科省が金科玉条のように訴えている「生きる力」の減退そのものを示しているように思えてならない。そんな空虚な時間を子供たちには過ごしてほしくない。やりたいこと、やるべきことが一杯で、とても40日では足りないという夏休みにしてほしい。それでこそ、充実した時間を過ごしたと言えるのではなかろうか。夏休みに限らず、そうした日々が子供たちを「成長」させるのだ。