坪木の教育論⑫:自己責任症候群に冒されるな

近年、日本社会はある種の疾患に冒されている。私はそれを「自己責任症候群」と名付けた。何もかもが自己責任の一言で片付けられている。

子ども達の「なぜ、勉強しなければならないの」という素朴な疑問に、多くの大人が「あなたのためよ」と答える。「あなたのため」「あなたの将来のため」「あなたが将来、豊かで幸せに生きるため」…勉強の目的すら自己に帰結して語られる。そう聞かされ続けた子どもたちはどうなるか。

「自分が幸せになりたいと思わなければ、勉強しなくてもいいんだ」と考える。「君は幸せな人生を送りたいと思わないのか」と問えば、「べつに…」と言う。当然、「自分が了解しているのだから俺の勝手だろう」と、働くことを放棄する若者も大量発生する。それが、ニート、フリーターが増殖した根源的原因だ。

そもそも、「幸せに生きること」は目的ではない。権利である。人として生まれた以上、誰もが有している権利だ。それを目的化して語ることが間違っている。ただ、権利を享受するためには義務を果たさなければならない。それは、陳腐な表現だが「世のため、人のために生きること」である。

地球上の生物の中で、人間だけが自分以外の存在に思いを馳せることができる。我々は、周りの人だけでなく自然環境まで配慮する。まだこの世に存在しない子孫のことまで考えることができる。それは、人間だけに与えられた能力であり、その能力を与えられたということは、「世のため、人のために生きること」は当然の責務である。私は、生きる力とは「社会に貢献するための秀でた能力だ」と言った。なぜなら、その力は正に「世のため、人のため」に必要なものだからである。

自己責任は当然である。もともと責任とは自己に帰結するものだ。しかし、今のような歪んだ自己責任感は、世の中を歪め、子どもの人生を歪めてしまう。我々大人は、先達の責任として、子供たちに正しい生き方を強く教えるべきである。全てが自己責任で片付けられる世界は野蛮な弱肉強食の世界であり、それを求めることは、人として生まれた意義、尊厳をも捨て去ることである。